【2025年最新】函館ハイジャック事件の犯人の名前は九津見文雄?現在と経歴に迫る!

1995年6月、全日空857便を舞台に発生した函館ハイジャック事件は、日本の航空犯罪史に残る重大事件として今なお語り継がれています。

日本で初めて警察が機内へ強行突入した前代未聞の展開に加え、犯人が「オウム真理教信者」を名乗るなど、当時の社会不安を象徴する事件でした。

その犯人こそが、九津見文雄(くつみ ふみお)という元銀行員の男。

彼はいったい何者だったのか?事件を引き起こした動機、そして現在はどうしているのか?

この記事では、事件の経緯とともに、九津見文雄の正体とその後の行方について詳しく解説します。

函館ハイジャック事件とは?

1995年6月21日、羽田発・函館行きの全日空857便(ボーイング747SR)が、空中でハイジャックされるという衝撃的な事件が発生しました。

犯人は単独で機内を制圧し、乗員乗客365人を人質に取る事態に。事件は約16時間に及び、最終的には警察の強行突入によって終結しました。

1995年に全日空857便で発生したハイジャック事件

機体は山形県上空でハイジャックされ、そのまま北海道・函館空港に着陸

犯人は機内で乗客の口や目をガムテープでふさぎ、拘束状態に。事件の発生当時はオウム真理教による地下鉄サリン事件の直後で、社会全体がテロに過敏になっていた背景がありました。

オウム真理教事件との関連を装った犯人の主張

犯人は「麻原彰晃の釈放を求める」と叫び、オウム真理教信者を装っていました。これにより、事件はオウム関連のテロと見なされ、現場の緊張感が一気に高まります。

しかし、後の調査でオウムとは無関係な便乗犯であったことが明らかになりました。

日本初の強行突入と報道自粛の中での解決

事件の終盤、北海道警察機動隊が日本で初めて航空機に強行突入。警視庁の特殊部隊SAP(現SAT)も後方支援として参加しました。

この対応により人質は全員無事救出され、犯人はその場で逮捕。日本の航空警備史において画期的な事例となりました。

 

犯人の名前は九津見文雄!

函館ハイジャック事件を引き起こしたのは、当時53歳の元銀行員で、名前は九津見文雄(くつみ ふみお)

事件直後は「オウム真理教信者」と報道されましたが、実際には組織とは無関係な単独犯であり、深刻な個人的背景を抱えていた人物でした。

元・東洋信託銀行のエリート行員だった過去

九津見は、旧・東洋信託銀行(現在の三菱UFJ信託銀行)に勤務していたエリート行員でした。

1965年に結婚し、3人の子どもをもうけました。 しかし、1989年頃、接待の場で知り合った女性との間に新たな家庭を築くなど、2重生活を送っていたことが後に明らかになります。

2つの家庭と副業問題|投書でキャリア失墜

九津見は2つの家庭を支えるため、副業として実態のない会社を設立。裏金調達などを行っていたとされます。

やがて、銀行に届いた匿名の内部告発により、副業と不倫関係が発覚。結果として閑職に追いやられ、出世の道を絶たれたと報じられました。

健康悪化と経済的困窮から休職へ

不倫発覚と同時期、九津見は自律神経失調症や肝機能障害、高脂血症など複数の持病を抱え、1994年10月には正式に休職。

仕事も家庭も崩壊し、精神的にも追い詰められた末に、社会への怒りと孤独感を募らせていったと見られています。

 

九津見文雄の動機と精神状態

犯人・九津見文雄は事件当日、「麻原彰晃を釈放しろ」などと叫び、あたかもオウム真理教の信者であるかのように振る舞っていました。

しかし、後の捜査でオウムとの直接的な関係は一切なかったことが明らかになります。

「オウム信者」を装った便乗犯だった

1995年当時、日本中は地下鉄サリン事件をはじめとしたオウム真理教の一連の事件に震撼していました。

九津見はその“空気”を利用し、自分を注目させようとした便乗犯であったことが判明しています。 実際には信者ではなく、宗教的な思想もほとんどなかったとされます。

社会への怒りと“目立ちたい”承認欲求

九津見は取り調べに対し、「自分の存在を世の中に知らしめたかった」と供述しています。

家庭・仕事・健康をすべて失った中で、社会や組織に対する不満を募らせ、注目されることで自己の価値を証明しようとしたと考えられます。

供述:「自分の存在を知らしめたかった」

こうした動機から見えてくるのは、政治的・宗教的な主張というよりも、深刻な精神的孤独と絶望感です。

犯行には計画性がなく、精神状態の不安定さが強く影響していたとする精神鑑定も行われたと報じられています。

 

現在の九津見文雄は?

1995年の函館ハイジャック事件から30年が経過し、犯人・九津見文雄のその後についても関心が集まっています。しかし、公的には現在の所在や状態は明らかにされていません

事件当時53歳 → 現在は83歳(2025年時点)

九津見文雄は事件当時53歳だったため、2025年現在は83歳となっている計算です。

事件後に逮捕・起訴され、刑事責任を問われたことは報道されていますが、判決や服役年数については詳細な記録が公開されていません。

服役情報は不明|精神疾患や収容施設の可能性も

犯行時の精神状態が不安定だったことや、動機が社会的不満と孤独感によるものだったことを踏まえると、精神医療施設への措置入院や医療刑務所への収容という処分の可能性も指摘されています。

ただし、これらはいずれも公式な情報としては確認されていないため、現時点では不明とするのが正確です。

事件後、メディアでの続報はなし

事件発生から一定期間は報道が続きましたが、服役中や釈放後に関する報道はほとんど見られません。遺族や関係者への配慮、精神的背景なども影響している可能性があります。

まとめ

1995年に発生した函館ハイジャック事件(全日空857便事件)は、日本で初めて警察が航空機に強行突入した重大なテロ事件として記憶されています。

その犯人である九津見文雄(くつみ ふみお)は、元銀行員という意外な経歴を持ち、オウム真理教信者を装った便乗型の単独犯でした。

事件の背後には、家庭・仕事・健康すべてを失った末の絶望、そして「自分の存在を世の中に知らしめたい」という強い承認欲求がありました。

2025年現在、九津見文雄のその後については一切明らかにされておらず、服役の状況や生存の有無も不明です。

この事件は、日本社会が極度の緊張状態にあった1995年という時代背景の中で起きた象徴的な事件でした。

現在でも、航空機の警備体制や警察の対応、報道の在り方に大きな影響を与え続けており、「忘れてはならない教訓」として語り継がれるべき事件です。

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